煙草
煙草はピースに限る。
ピースが吸えなくなるぐらいなら吸わない方がまだマシなほど。
家族、世間
わたしは自分の生い立ちをよく覚えている。
父の社宅の頃から。
2歳下の妹は重度の自閉症。母親からはよく平手打ちを食らっていた。
幼稚園に上がる頃には母親に見捨てられるのが怖くてよく脱走していた。
妹の事でからかわれることもよくあり。
祖父は元軍人だった。戦争の話をしてよく酒を飲み軍歌を歌っていた。
祖母はうつ病だったらしい。
よくある姑の嫁いびりも激しく、母親に泣きつかれたり、誰も相手にしてくれないと祖母に泣きつかれたり。何をしているのかわからない叔父に躾のためか押し入れに閉じ込められた事も忘れる事もできない。
小学校の高学年の時か、世間向き裕福な家柄からくる僻みからのかイジメに耐えかねて登校拒否になった事もある。
学校は学校で出生差別あたりまえ、戦場である。
農業高校では友人は一人もおらず、本ばかり読んで、音楽ばかり研磨していた。わたしは若干畏怖の対象だったようでもある。
2度目の10歳差別は相愛の時。
金持ちだとか当たり散らされ、暴力に耐えかねて辞めた。
わたしの厭世気質はそこから始まったのかも知れない。
家族関係にも世間関係にも懲りたのだ。
本に逃げる日々が続いた。
立ち向かう事からは逃げてはいけない。
声楽のS師匠からは何事も一生懸命することを教わった。
まだみぬ自分のような人に会えることを願っている。
ちまちまお仕事
友人から頂いているおバイトをさせてもらっている。
自分でもなんしか出来るので有難いことである。
なんやかや人間関係から仕事に繋がる事もあれば、仕事から人間関係ができていく事もある。
どちらからかは運次第というところも。
どちらにしても良い関係には恵まれたなと今も思うこのごろ。
友人
立場、家柄、経歴なんかで親しい関係なんかは簡単に切れる。
昔からそうだった。
わたしも誰かを信用して死にたいものでもある。
人間、目的目標に向かって努力する過程にしか幸福はないのかもしれない。
その結果や過程で自然とできるのが友人なのかもしれない。
一つは夢だったり、社会への反抗であったり、売り上げだったり、人へのバッシングだったり(これに関しては不毛である)
誰かを敵にしてもしくは見下して団結するというのは正直あまり賛同はできない。楽しくもない。
自分達が楽しいと思えることで団結する方がそれは理想的だ。
ただ日本社会がそういう風潮になっているとは言えない。
これではなんで日本は先進国になったか分からないとか言われても仕方がない。
天皇制などは脅威である。
特攻隊など狂気の沙汰だ。
ただ戦死者も悔いはなかったのかもしれない。本懐ならば。
ただわたしのような弱者は彼らに敬意を払うことしかできない。
世界は複雑である。
わたしは無神論者だが神の元で一つだという人達も批判するわけではない。
孤独な浮浪者の散歩は今日も続く。
まだ見ぬ何かを求めて。他者を求めて。
発達障害者
月一で親の命で発達障害者支援センターに行く。
人間も情報なのか、パソコンをカタカタさせながら話をする支援者さんと面談。
自分の存在意義を見失うようで頼っているという事になっている手前とかに何もいうこともなく。
やるべきことが見つからない平行線。
ヘルパーをしていた時のことを思う。
利用者さんの日誌をテレッサに記入する作業なんだろう。
そこに人情があるかどうかと言えばなんとも言えないが、人との関わりの一つである以上は人情なんていうのはどうしても勝手に湧いてくる。
なんで自分がこんなところに連れて来られないけないんだとか思う反面、しょうがないとも思う。
信用なんていうのは自分で勝ち取るものなんだろう。
元気がなくなる感じである。
楽しくやれる見知らぬ他者をきっと求めている。
人情
元来人情なんていうのはありすぎてもいけない。なさすぎるのもいけない。
社会で生きていくには人情はどうしても湧いてくる。
情に棹させば棘が立つとはよく言ったもの。
人情に傾きすぎると人を死に追いやる可能性すらある。
我が国の敗因は国を信じすぎた事、そして科学を忘れた事と。
人情だけで回る世界はきっとヤクザな世界。
生きていくには、社会に自分を当てはめるにはやはり技術なり学なりが必要なのだろう。
ただ信仰のないところに科学や数学はないともいう。
人間何かには依存していないと生きてはいけない。それは会社であったり師匠であったり。
はたまた医者であったり。酒であったり、神であったり。音楽であったり。もしくはドラッグか。
独力で生きていくなんていうのはどんな人間にも耐え難い。
人の間と書いて人間という。
関係の中をいつでも生きている。
意地を通しても窮屈だ。
自由と尊厳に溢れた現代社会で、多かれ少なかれ誰にも言えない孤独を背負って生きていくしかないのかもしれない。