徒然なるままに

日々感じる事をままに

日常

毎日寝たきり。

二度寝して医者へ。

適応障害だとかアスペだとか言われてるけど。

一生懸命仕事覚えたい気持ちもあればもっと勉強したい気持ちも有れば。

ピアノを弾いてみる、作曲してると気が紛れる。

師匠の声楽体操は毎日の日課。お陰で体はそれなり。

お家で煙草を吸う。何か始まるような始まらないような。

在宅ワークをさせてもらってるとじんわり社会と繋がらせてもらってる感覚。

障害者年金もらえたら実感として障害者なのかなって自覚も芽生えるのかな。

予定は未定。

人生予定通りに進むなんて事もないものだろう。

 

 

父とおかんと妹

妹は自閉症

おかんは私に無理難題な夢を期待してくれていた。

父は厳格でそして寛大で強い人だった。

私はそんな家庭で自由に音楽を勉強させてくれた。

音楽大学へ進学するも最初の大学では暴力に耐えかねてがんばりすぎ自滅。

二回目の大学では声楽。仕事もいただけてそして回りについていけずに退学。

その後も師匠の下で研磨しつつフリーで仕事を引き受けていた。

仕送りも貰いつつだからできました。

介護もした。バーテンダーもした。色々と首を突っ込んだ。

色々首つっこみすぎ意気消沈。

ぼちぼち人生をあゆみたいもの。

 

一人

ずっと孤独だった。

祖父母。両親。叔父。自閉症の妹と共に育った。

家族中はあまり良くはなかった。

わたしは周囲から当たり散らされ、トイレで一人で泣いていた。大人の言うことは全て正しいと自分に言い聞かせていた。

そうでなければ言うことを聞く意味などないと。

嘘ばかりだ。社会は。

長男としてこれからどうするのか。

誰一人理解者は学校にはいなかった。

いじめにもあい。不登校気味だった。

普通が1番いい。

兄弟児

妹は重度の自閉症。、わたしは放任だった。

金に関してはおやすみは、寛大だった。

介護も妹の事で後々役に立つかなと思って始めた。

わたしはなんとかしたいこの家を。

学校では妹は喚きちらす。

祖はわたしに多くの期待をよさていた。

どうにかしたい。長男として。

生き方

わたしには生き方がわからない。

父は偉大だった。母もまた。

自閉症の妹を育て上げてなんとか社会に適応できるようにした。

わたしといえば偏って育った。

ずっと孤独に努力した。音楽に。本に。

気がつけばいつも一人。

今思い返せば、等身大でわたしに歩み寄ろうとしてくれた人達もいたのに。わたしは自分の勝手を突っ走った。

一人では生きてはいけない。

友無くして成長はきっとないのだろう。